「私鉄3.0」から学ぶ、次の時代のまちのつくりかた

先日、尊敬するお店づくり・街づくりの大御所中の大御所である入川秀人さんと、仕事でもお世話になっている東急電鉄さんの執行役員の方が対談されるイベントに行ってきました。

これまでの電鉄を中心とするまちづくりのあり方を振り返り、今後の時代を見据えてどう変えていくべきか、という「歴史と展望」の両方をプロ中のプロの方から直接教えていただくことができて、最高に刺激的でした。

東急電鉄 執行役員 東浦さんが出された「私鉄3.0」から学ぶ、まちづくりの歴史

今回のイベントは東浦亮典さんという東急電鉄の執行役員の方が出された書籍「私鉄3.0 沿線人気No.1 東急電鉄の戦略的ブランディング」の内容をベースに行われました。

当日は書籍を模したお弁当も(笑。まずここからして遊び心があって素敵です。

「私鉄3.0」に学ぶ、日本の私鉄のビジネスモデルの根幹と歴史

毎日のように使っている電車、そして駅の周りに発展してきた街ですが、その成り立ちについては全く知りませんでした。この書籍は、いわゆる郊外型の街というものがいかにして生まれ、発展し、そして今変化の時期にあるか、ということが歴史的経緯から俯瞰してわかる、とても濃い内容でした。以下あくまで簡単にまとめると。

・東急電鉄は1918年に渋沢栄一が設立した「田園都市株式会社」という、洗足田園都市や田園調布といった住宅地を開発販売する会社が礎になっている

・会社設立の趣旨書に、すでに「総合的なまちづくり」をイメージした内容が書かれている

・その前提には、「近代都市計画の祖」とも呼ばれるイギリスの都市計画家「エベネザー・ハワード」が19世紀末に提唱した「Garden City(田園調布)」という発想がある。産業革命以降、当時のロンドンで急激な人口増と環境悪化を背景に、大都市の外縁部に計画的な衛星都市をつくりはじめたことがきっかけ。

・日本では阪急電鉄創始者の小林一三がこのモデルを取り入れて成功をおさめていて、渋沢栄一が東京の都市化と人口流入を見越して田園都市というモデルを関東でも始めた。

・田園都市は当初は日本人に馴染みがなかったが、関東大震災で都心が被害を受ける中で比較的安全だったことをきっかけに評価され、田園都市の分譲は一気に進んだ。

・田園都市に住み、生活は駅周辺で行い、都心に通勤するというモデルは確立したが、まだまだ人の移動を計画的に起こす必要があり、特に弱かった平日の昼間、しかも都心から郊外という逆の流れを起こすために、1929年に慶應義塾大学を日吉に誘致。

・この「郊外の宅地を販売し、そこに居住したお客様に毎日電車で通勤してもらい、ターミナル駅に商業施設などの利便施設を設けてお買い物を楽しんでもらう」「それらに関連する事業をグループ会社に落としていくことでグループ全体で成長していく」というのが私鉄1.0のビジネスモデル。これは小林一三の時代から実は根本は変わっておらず、東急はこれを他の私鉄よりも大規模に、徹底的にやったことで大成功した。

・しかし、今後は変わっていく。郊外での人口減と高齢化が起こる。これまでのように遠距離の電車通勤を前提としない働き方が増える。そうすると、「通勤鉄道で稼ぐ」のではなく、「交流鉄道で稼ぐ」というふうに鉄道の意味合いも変わり、郊外での稼ぎ方も「宅地販売と生活サービスで稼ぐ」のではなく、「郊外の再生・生活サービスで稼ぐ」というふうに変わる。これが私鉄2.0。

・そして、3.0は、東急グループの各種サービスが沿線住民・利用者のデータをもとにICTプラットフォームでつながってワンストップで提供される、というビジョン。

以上がざっくりとした「私鉄3.0」の内容なのですが、とにかく知らないことばかりでした。自分が生まれた頃にはすでにこのモデルが成立していたので、「郊外に住んで都心に電車通勤する」というのが東京に限らずどの都市でも一般的なものだと思っていたのですが、実際には電鉄会社がこういったことを可能にするインフラ、しかもただ住むだけでなく大学などまで含めて広い範囲でまちをつくってらっしゃたこと、一企業が行う事業としてのそのスケールの大きさにびっくり。

そして、だからこそ、このあまりにも成功したあまりにも強いビジネスモデルであるがゆえに、今後の変化に対応できない可能性があるという、これもまた、非常に納得感があるお話でした。まちづくりの領域に限らず、日本ではいまこの「あまりにも最適化したがゆえに、みんな善意と全力を尽くして頑張ってきたことが将来へのリスクになってしまう」ということが起きていると思います。それについてとても真摯に向き合っている東浦さんのお話が印象的でした。

未来で生き残る郊外とは

未来を見据えた話をされたとき、東浦さんは、今後郊外は二分化されるとおっしゃっています。自立できる郊外は、「多機能」「多世代」で「生産」の要素もきちんとある郊外。逆に衰退する郊外は「単機能」「単一世代=高齢化」で消費のみを中心とする郊外。

東急さんが当初開発して販売した当初は、購入して居住した世代は若く、上り坂も苦になりませんでしたが、高齢化し免許を返納したりするとあっという間に生活サービスから取り残されてしまうリスクがあります。いかに「歩いて移動できるエリア」にコンパクトに必要な機能を備え、民間企業の投資もキープできるようにしていくか、これまでの企業主導の開発から今後は地域に住んでいる住民もまちの運営に主体的に関わっていく必要があるという言葉が、東急さんの立場から発せられたことはとても印象的でした。

まちは自分たちの力で変えることができる

対談のもうひとりの主役、入川さんは言わずと知れたカフェ・カンパニーの創始者で、渋谷川沿いの高架下の当時誰も通っておらず怖くて危険だと思われていたエリアにSUS(Shibuya Underpass Society)というお店を開き、当時のビットバレーで若いIT系の人やクリエイティブ系の人が周辺で働いているのをサポートするメニューや企画などを次々に行い、見事に「人が来るエリア」に変身させました。

SUSはいまだに飲食店業界でも伝説的なお店として知られていますが、入川さんが感慨深そうに「本当にこんなところに人が来るようになるというのは誰も信じてなかった」とおっしゃったのが印象的でした。

自分たちふつうの生活者は、まちって最初から「ある」もの、「存在するもの」で、自分たちはそこをいかに「消費するか」「楽しむか」という感覚ですが、実際にはまちは誰かの強い思いやセンスや企画で「主体的に変えることができる」んですよね。

入川さんは今も変わらず「立地」と「ターゲット」から「必要とされる機能」を掘り込んでいって、素晴らしいまちづくりをされています。その入川さんの原点の一つについて知ることができて、しかもそれが今自分が拠点にしている渋谷エリアで自分の今後のオフィスにも近いということもあり、胸にこみあげてくるものがありました。想いを受け継いで次につなげていかなければ。

ネガティブな言い方をすれば、まちのインフラを維持し、生活を維持し続けていくためには、今後自治体の財源や企業活動だけに頼ることは現実的でなくなってきます。非常に厳しい状況に陥る郊外やエリアが出てくることは避けようがありません。

しかし、ポジティブな言い方をすれば、これまでは「帰って寝るだけ」だったまちが、自分が主体的に関わることでもっと面白く、もっと全人格的に関わることができる場所になるということでもあります。自分の仕事上の能力も活かし、生活・消費だけでなく生産もすることで、まちが「自立すること」を助けていく。

それは、まちの変化とともに、その主役であるわれわれ「人」のあり方や可能性も変わっていくということであり、すごくエキサイティングな変化だなと思っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA